3.辺章、韓遂の乱に魔王出陣す
「韓遂には悪いが、奴らを踏み台とし……一気に朝廷を牛耳ってみせよう…!」
(董卓伝第二章 おじいさまと李儒の会話から)
一時は漢王朝を揺るがした黄布賊も首領・張角の病死を境に衰退を始めます。
皇甫嵩や曹操達の率いる官軍に、劉備、孫堅といった義勇軍が加わった事で対抗しきれず、張角の跡を継いだ弟の張梁の死と共に黄布賊は壊滅しました。
しかし、この混乱に乗じて、各地でも反乱が続出。
涼州においても、羌族が漢人の有力者であった辺章、韓遂を擁立し反乱を起こしました。
朝廷もこの反乱を抑えるため、大軍を分けて進軍させます。
この一隊を指揮していたのが、敗戦直後の董卓おじいさまです。
これは董卓おじいさまが宦官に賄賂を贈って敗戦の罪を逃れたためだとも、羌族と付き合いの長かった董卓おじいさまを用いて乱を抑えようと考えられたためだとも言われています。
さて、実際の戦いぶりはというと、官軍側の苦戦が続きます。
董卓おじいさまは中郎将に任命され、左車騎将軍であった皇甫嵩の副官となりますが、皇甫嵩は功無くして免官されて帰還。
これに辺章・韓遂らは大いに勢いをつけます。
代わって、朝廷は司空の張温を車騎将軍として再び賊軍征討を命じます。
董卓おじいさまも破虜将軍に任命され、張温の配下として扶風郡に駐屯、園陵を守りました。
辺章・韓遂の軍は扶風郡へ進軍、張温率いる朝廷軍はこれを迎え撃ちますが、苦戦は免れません。
ある11月の夜。流星があり、反乱軍の陣営を照らしました。
これに騎馬達は嘶き、将兵も不吉に思って拠点の金城へ撤退しようとします。
董卓おじいさまはこれを聞いて喜び、同僚の武将達と共に討って出て、数千の賊徒の首を挙げました。
張温は副将の周慎に数万の兵を与え、金城への攻撃を命じました。
この時、周慎の陣営に加わっていた孫堅は、
「賊の城中には糧食がありません。必ずや糧食を外から運んで参りましょう。どうか私に一万の兵をお与え下さり、その糧道を断たせて下さい。将軍が大軍で後に続かれたなら、賊は必ずや食糧の欠乏に苦しみ、敢えて戦おうとはしないでしょう。もし、逃げ出して羌族の中に入ったなら、力を併せてこれを討ちます。そうすれば涼州を平定する事ができるでしょう」
と進言しますが、周慎はこれに取り合わず、城を包囲しようとします。
しかし、狭まった道に潜んでいた反乱軍の伏兵に周慎側の糧道を逆に断たれてしまい、逆に官軍が敗走するという憂き目に会います。
一方、董卓おじいさまも張温より3万の兵を持って天水群北部で羌族を討伐していましたが、羌・胡族に包囲され、糧道を断たれたまま、進退窮まってしまいます。
そこで董卓おじいさまは、密かに一部の部隊に魚を取らせる振りをして、後方の川に堰を設けます。
そして堰き止めた川を全軍で渡り、気づいた反乱軍の追撃を塞き止めていた川を解放する事で、まんまと撤収する事に成功しました。
その頃、官軍の他の部隊は敗走しており、董卓おじいさまだけが唯一、責務を全うし、扶風に駐屯しました。
時に185年。まだまだ、韓遂とおじいさまの戦いは続くのでした……